『 愛ある夢を 2016年富士夢祭り 気づき編』
はじめて富士山に登った時に
もう一生富士山は登らないと思ったのに
旧暦の七夕に4年連続で富士山を登っている
三十路少年の紅(こう)です(^o^)
ブログ更新でき出なくてすいません。。。
富士山に行ってました!!!!
今回の第12回富士夢祭り(富士夢祭り 公式サイト)も
たくさんのドラマがありすぎました(笑)
長くなるので今回は感じたことを書きま~す(^o^)
今回の富士夢祭りで
1番感じたことはシンプルに
みんなで楽しいこと、つらいこと
苦しいこと、感動すること・・・
さまざまな思いや経験を
“一緒に共有したい”
ということでした!!
今回よくシェアハウス恩に遊びに来る
ニュー太郎と一緒にヒッチハイクから行動。
つらいことも共有し一緒に乗り越えました。
それだからこそお互いのことをよく知れ
より信頼関係が深まりました!!
来年は広島ゲストハウス縁でツアーを組み
広島の人たちに一人でも多く
一緒にいろんなことを体験し、
素敵な仲間たちを繋げれたらと思っています!!
次回、今回の奇跡の物語の一部を
書くので楽しみにしてくださ~い(^o^)
それでは富士夢祭りを写真ですが
感じてみてくださ~い(^o^)
↓こちらに動画もあります
http://www.fujiyume.com/fujiyume.html
『 愛ある夢を 』
来年みんなで行きましょう(^O^)
『8月6日 8:15 あの日から71年。。。』
原爆投下から71年目
“広島に帰ってきて本当によかった!!”
と感じている
三十路少年の紅(こう)です(^o^)
8月6日前後
広島では様々な動きがあります
下の3つに参加してきました。
~原爆の残り火を灯し、平和について考える~
〇平和記念式典
〇ひろしま音楽まつり~ひろしまおん らくまつり
https://www.facebook.com/ひろしま音楽まつりひろしまおん-らくまつり-397343130426220/photos_stream
印象に残ったのは
白石多美子(被爆体験証言者)さんによる被爆体験のお語
岡野弘幹(音楽家・平和活動家)さんによる祈りの演奏
原爆の残り火 山本 達雄 さんの想い
↓詳しくはこちらから
お話(戦争を二度と起こさせないために
3人の話から強く感じたことは
戦争や原爆を体験した人がいなくなる世の中で
『想像力』
が大切だということ
“実際に原爆がどんなに悲惨だったのか”
“自分の周りの大切な人が殺されること”
“今まで平和だった日が一瞬でなくなるということ”
体験していない自分が
どれだけ『想像する力』を高め
実際に自分に落とし込んでいくか
これが2度と同じ苦しみを起こさない
に繋がってくると
あらためて強く感じました。
そして志をもった仲間
地球に優しく生きている人たちなど
多くの人との再会の連続の連続の連続
音楽と踊りがあり
そこに集まる温かい人
幸せな空間に包まれ
じわーっと幸せ感じ、
未来がさらにわくわくになりました(^o^)
本当にみなさん素敵な時間をありがとうございました(^o^)
『 Earth Dream Japan(みんなの夢でできた団体)立ち上げに向け 』
自転車で日本一周の旅で
“恩を送ること(恩送り)”が
一生をかけてしていくこと(使命)で
“みんなの夢が”自分の夢になった
三十路少年の紅(こう)です(^o^)
報告があります!!
今回の広島ゲストハウス 縁 のオープン
そしてこれからの活動にあたって
株式会社 恩 を立ち上げるとともに
Earth Dream Japan
(みんなの夢でできた団体)
を立ち上げることになりました!!
Earth Dream Japan は
みんなで夢を応援し、高め合います
㈱ 恩 から ㈱ Earth Dream Japanになるかと!!
ということで第1回目のミーティングを
シェアハウス 恩 で行いました
Earth Dream Japan、広島ゲストハウス 縁に対する想い
これからの流れ、みんなの想い、みんなの関わり方
わくわくプランなど話合いました!!
気がつけば
Earth Dream Japanのメンバー
チャリテーサンタ広島のメンバー
起業スクールcotoruのメンバー
https://www.facebook.com/cotoru.school/?fref=ts
NPO法人森の蘇り(きらめ樹間伐)の方
http://mori-no-yomigaeri.jimdo.com/
Earth Dream Japanサポーターズのメンバー
シェアハウス 恩 の家族
が集合!!
熱い夜となりました(^o^)
これからのスケジュールが簡単にできたので
乗せておきま~す(^o^)
【今後の流れ】
10月30日前 プレプレオープン
(イベントスペースとして)
横川ゾンビナイトで宣伝
11月から イベント ミーテイング
Barの許可が取れ次第
プレプレオープン(Bar地球の果て)
2月5日前後 プレオープン(Bar地球の果て)
広島かよこバスのイベントに合わせて
4月第4日曜前 グランドオープン(広島ゲストハウス 縁 )
横川ふしぎ市に合わせて
【していくこと】
8月 第1時 資金集め
9月初め 図面、模型完成(近畿大学建築課)
9月 見積もり
水道、電気工事(どのくらいかかるか)
10月 クラウドファンディング(500万)
みなさん協力よろしくお願いします(^o^)
『 最近注目され始めた“きらめ樹間伐”を体験してきました(^o^)』
こんな広島にしていこうと思っている
三十路少年の紅(こう)です(^o^)
(なぜこのビジョンを目指しているかはこちらに ↓
http://gesthouseen.hatenablog.com/entry/2016/07/26/190540)
このビジョンを叶えるには
“山(森)を蘇らすことが大切”
ということで
に参加するために
いつも通りヒッチハイクで
大好きな湯来町へ!!
3台乗り継ぎ、湯来の手前に
「なんで今日はこんなに遠回りになるんだろう?」
と思っていると
4台目の車が目の前に
車に乗った途端びっくり!!
なんと乗せてくれたのが
まさかの“羽熊(はぐま)さん”
羽熊さんも乗せるまで僕だと気づいておらず
奇跡の再会にテンションが上がるふたり
羽熊さんはJICA(青年海外協力隊)のご縁で出逢い
(青年海外協力隊との関わりについてはこちら ↓
http://gesthouseen.hatenablog.com/entry/2016/06/21/181401)
80カ国以上を回り
世界中の料理が作れる 凄腕シェフ!!
ずっと料理開発のことなどで相談したいと思っていた時の
まさかのヒッチハイクで再会
このために今日のヒッチハイクがあったんだ
と思いながら話していると
羽熊さん
「ずっと湯来町の佐藤君に会いたかった!!
WWOOF(ウーフ 農業体験と交流ができる
世界的NGO団体)のことや地域での
コミュニティーをどう築いているか視察に行きたい」
(WWOOFについて詳しくはまた)
と!!
ということで急遽
イベントに参加してくれることに!!
みんなに紹介
ヒッチハイクに乗せてもらった人と
イベントの参加にみんなもびっくり
みんなで2年前にきらめ樹をした山に
( ↓ 2年前の写真)
いや~なつかしい帽子かぶっているのが三十路少年 紅(こう)
☆きらめ樹間伐とは?
誰でも楽しく安全に森の整備ができる手法として、
最近注目を集めている間伐方法です。
樹の皮を下から上にびり~っとむくことで、
間伐と同じ効果が得られます。
子どもでも女性でも、楽しく体験ができます!
また、きらめ樹したあとは立ち木のまま自然乾燥させ、
軽くなった状態で伐採し、すぐに製材し、加工していきます。
詳しくはこちら。http://with-earth.com/forest/
今回は伐採、搬出の実践勉強会
まずはチェーンソーの扱い方を
習うところからしっかりと
木を倒す方向をみんなで話し合い伐採へ
切れ込みを入れ、周りの木を利用し軽く倒します
ここからがきらめ樹間伐の面白いところ
樹の皮をむいて1年以上たった木は
立ち枯れしているので
通常の木の3分の1の重さになっているので
簡単な道具で力がほとんどいらず動かすことが出来ます
下に木を置きそれを滑らせて
ゆっくりと木を倒していくので安全です!!
簡単に木を倒すことができ
みんなで交代しながらに切断
この右の部分でまな板が作れることができ
1万円くらい価値があると言うことです!!
イタリア人の女の子も初めてのチェーンソー
だったのですが恰好が様になってます!!
搬出の仕方も面白く
乾燥した木は軽いので
山の中で犬の散歩をしてるみたい
これは子供が喜びそう(^o^)
軽いので2メートルくらいなら
大人の男性ならひょいっと担いで運び出せれます!!
今回の勉強会で1番びっくりしたのが
間伐したところ付近の地面に
様々な植物が生えてきていたこと!!
2年前はほとんど生えていなかったのに
きらめ樹間伐は皮をむくと
そのまま立ち枯れするので
日が入って来るよになります
日が当たり出すと植物が生え
それが人や動物の食糧になり
鳥や動物たちが帰ってきます
ここもいずれこんな感じに
緑いっぱいになるんだろうな~と
これからが楽しみです(^o^)
山(森)が蘇りることにより
山で水が貯えられるようなるので
“ 土砂災害を予防 ” に繋がります
土が流されにくくなるので
川が海がきれいになります。そして
大雨の時も川が氾濫しにくくなり
山で水が貯えられるので山の栄養が
海にも流れ着き、プランクトンが繁殖
魚たちも元気になり 海の資源も豊富に!!
また間伐をしていくとだんだん木たちも成長
太くなっていきます!!
その木はいずれこれからの子供たちの財産に
今でもきらめ樹間伐でとれた木は様々な用途に使われています
きらめ樹間伐の製品
きらめ樹間伐で作った家
広島ゲストハウス縁でも
このきらめ樹間伐でとれた
広島産の木を1部でも使えればと思っています
そして “きらめ樹ツアー” を開催し
子供たちに楽しみながら自然の大切さに気づいてもらい
湯来を好きになってくれたらと思っています
今週は“海の大崎上島”に“山の湯来”
大好きな所を思う存分楽しめて
本当に有意義な時間を過ごせました(^o^)
多くの人とこの感動を共有できたらなぁと思っています
自然の大切さに気づき、実践していく人を増やし
こんな下の絵のような広島を
みんなで作っていければと思っています(^o^)
みなさんご協力お願いしま~す(^o^)
『 あたり前の幸せに気づく場所 大崎上島 』
アメリカに行った時に
あるいろんな人が住む家と出逢い
みんなに「何の集まりですか?」と聞いたら
みんなが『大好きな集まり!!』と答え
『それだけだけどなにかいけないことでもある?』
と言われて衝撃を受けた
三十路少年の紅(こう)です(^o^)
一緒にいる理由も大切かもしれませんが
“1番は好きだということ”
ただ純粋に大好きな仲間といると
思えるって素晴らしいですね(^o^)
ということで
僕のただ純粋に大好きな島
“大崎上島”
で行われた
『Happy ライド 2016』
https://www.facebook.com/events/473983409476052/に参加してきました
サイクリングで大崎上島のおすすめスポットを周り
島の特産物を味わい、潮の香りや景色など
五感で島の良さを感じるイベントです!!
今回は伝統の祭り “櫂伝馬”
と花火大会が同じ日に行われるという
スペシャルDAYでした!!
大好きなシェアハウス 恩 の家族と参加(^o^)
念願の伝統の祭り “櫂伝馬” を
見れて大興奮!!!!
大崎上島の各集落ごとで船を漕ぎ
どこが1番早いか競い合います!!
本気の男の姿はめっちゃかっこよかったです!!
↓詳しく知りたい方はこちら
大好きな先輩
大好きかもしれない仲間(ちくわ)(笑)
とも出逢い
気づけばテンションあがりすぎて
サイクリング中に海にダイブ(笑)
なぜかヒッチハイクすることになり
乗せてもらった人に漁師さんを紹介してもらい
ヒッチハイクで目的地に着くと
ゲストハウスを応援してくれる仲間が待っていて
合流しBBQ(^o^)
“ぷりっぷり”でまじ半端ない
空もだんだんいい感じになり
大崎上島から見える最高の夕日
そしてお待ちかねの “花火大会”
オープニングから盛り上がり
めっちゃ近くから打ちあげ
このド迫力!!
花火後は大崎上島にある
大好きな山尻シェアハウスで宴会(^o^)
あっという間に朝になり
解散!!
のち、すぐにまたシェアハウス恩で出会った
15年前に大崎上島の中学校の
先生をしていた節子さんと合流
節子さんは15年ぶりの大崎上島だと!
ということで
お世話になった先生や教え子巡り(^o^)
まず最初は
“ドン!!”
なんと
“まっつん!!”
言わずと知れた山尻シェアハウスのオーナー
節子さんの教え子だったとは
その後まっつんの同級生の所へ
右上が教え子で 当時めっちゃ悪かったのだと
今は大崎上島にもどり漁師をし
4人の子供を育てる素敵なお父さんに!!
その後、神峰山に行き 瀬戸内の島々を眺め
中村さんに頂いた、名物の鯛めしを絶景を見ながら食べ
最後は教え子が主催する
“レゲェー”のイベントにも!!
おちゃめな大崎上島の人々(笑)
教え子と再会できてうれしそうな 節子さんを見て
めっちゃ幸せになりました(^o^)
今回の大崎上島はめっちゃ濃かったです!!
“ あたり前の幸せに気づく場所 大崎上島 ”
大崎上島には
ゲームセンターや大きなショッピングモールはありません。
が、数多くの名産があり、伝統が残り
“なにより『素敵な人』がめっちゃいます!!”
毎回行くたびにまた逢いたいと思う人が増え
どんどん大好きが増幅していく島です!!
広島ゲストハウス 縁 を通じて
大崎上島を大好きになってもらい
街と海を繋いで新たな価値観を生み出し
豊かなライフスタイルを築いていけれたらと
思ってま~す(^o^)
↓こちらにも大崎上島に対する思いが乗ってま~す
なんでゲストハウスをしようと思ったのか? パート1 1番強い想い - 広島ゲストハウス 縁 は本当にできるのか!?
最後に大崎上島で募集があるのでぜひ~(^o^)
『 あの“るいるいサンタ”が広島に 』
9年間日本を歩き続ける男
森に住む人
龍が見える人
旅中に様々な人に出逢った
三十路少年の紅(こう)です
そんな僕が自転車で日本一周中に
出逢った人で1番衝撃的だったのが
“るいるいサンタ”
はがき1枚からの出逢いから
その後の奇想天外な物語は
たぶん出るだろう
自転車で日本一周の旅漫画
『ただ好きになりたかった(仮)』
をお楽しみに。
※ちなみにこの出逢いから
アメリカに行くことに
その“るいるいサンタ”が広島に!!
35期東京コモンビート公演のキャストとして出演。
その想いを伝えるために日本を周っているのだと
◆申し込み、公演の詳細はこちら◆
http://form1.fc2.com/form/?id=caaca5b3c4b6b9bb
7月29日現在101枚/残り899枚
『NPO法人 ア コモン ビート』
http://commonbeat.org/project/musical-acb/35th/
は旅中に九州で出逢った団体で
“個性が響きあう社会へ”
を目指して
“素人100人による100日間で
作り上げるミュージカル” です!!
めっちゃ素敵で
この コモン ビートをずっと
広島で開催したいと思い
いろんな人に話していました。
今回広島でコモビ開催に向け興味を持っていただいた
県庁の人、コモビに出演したことのあるまえばちゃんなどを
るいるいサンタが来るということで連絡。
相当たるメンバーがなぜか集合することになり
とても楽しすぎる会になりました。
県庁の方々
北広島町のぞうさんカフェ 上野さん
感動のコミック 田原さん
コモンビート&ためマップ まえばちゃん
Cocoro-to production 松川さん
Asa✽Kafe オーナー 麻野 変風さん
ピースカフェ 米田さん
そして東京からも素敵な方々が勢ぞろい
これから広島にものすごい波が来る予感!!
ちなみに
“るいるいサンタ”は
コモビ後すぐに
アフリカ ウガンダへ
こちらの応援もよろしくお願いします!!
【アフリカウガンダ“命”輝かせpresent】
8月19日~27日アフリカウガンダ行きます。
戦争で傷ついた子たちに、
自分の存在が誰かの喜びになる生きる力のサポート。
ウガンダ語で「あなたにあえてうれしい」のTシャツを
あなたのお名前入りでつくりプレゼントします
自分の事を遠い日本の人が想ってくれている
それが明日を生きる力になることを願って!!
100人のひとりになってください
◆申し込み、詳細はこちら◆
http://form1.fc2.com/form/?id=38cbbeb001a1acbc
あなたの存在にありがとう
全ての人が生きていきたいと思える社会を
渡辺類子(るいるいサンタ)
『 なぜヒロシマに帰って来たのか? 中編 』
前回の続きです
「なぜ広島に帰って来たのか?」
3つ目の理由は
『世界で1番希望を与えられることが
できるのがヒロシマだと思うから』
日本一周中に気付いたら
アメリカにいたことが
大きなきっかけでした
(なぜアメリカにいたのかはおいおい)
アメリカには東京の人と一緒に行ったのですが
東京と広島では反応がぜんぜん違い
森に住むネイティブアメリカの人達でさえも
“原爆のヒロシマから?”と言うほど
海外での知名度は高く
また「広島から来ました」というと
“日本語”で「ごめんなさい。 許してください。」
と言う人が1人や2人じゃなかったことが衝撃的で
広島のことを思ってくれていることは
うれしかったのですが、複雑な気分で
“ヒロシマってこんなところがいいよね”とか
“ヒロシマでこんな素敵な出逢いがあった” とか
“もう1度行きたい”
と言ってもらえるような都市にしたい!!
と思うようになりました。
それは世界の人の捉え方が被爆都市ヒロシマであって
僕たちが考えている平和都市広島ではなかったから。
またイラクに派遣されていた元米兵の方が
“ 世界で1番絶望を経験したヒロシマだからこそ
世界で1番希望を与えれることが出来る”
と話してくれたのが印象的で
世界の多くの人が知る都市 ヒロシマ
同じことをするのも広島でするのと、
他でするのでは意味が全然違うと
肌で感じ広島に戻ってくることにしました。
原爆で焼け野原になり
赤と黒と茶色しかない
地獄みたいだった広島が
緑豊かで、
原爆を落としたアメリカの人とも
仲良く暮らしている街になれば
今戦争している国の人達にも
砂漠で大変な生活をしている人たちにも
勇気をあたえられるのでは
そのためには原爆のことを知るということは
大切なことなので
というイベントに参加しに行ってきました
シンガーソングヒッチハイカー
十輝くんのライブから始まり
ドキュメンタリー映画
“キャノンハーシー「ヒロシマ」」へ
の上映があり
被爆3世代
女性たちとの対話セッションがありました。
印象に残ったのは
被爆二世の朋子さんの話。
親が被爆にあってますが、朋子さんは
実際に原爆、戦争を体験しておらず
“ 親も当時のことを語ろうとはしない”
“平和教育があまりにも
近すぎて実感がわかない ”
そんな朋子さんが大人になった時に
出逢ったのが
ジョン・ハーシの「ヒロシマ」。 という本で
この本は原爆投下の翌年
1946年(昭和21年)8月31日、
米国の雑誌「ニューヨーカー」に掲載され、
大きな反響を呼んだもので
米国のジャーナリスト
ジョン・ハーシー氏が、
広島の牧師、医師、事務員など
6人の被爆者を取材した記事で
被爆体験や当時の救護活動が克明に記され、
一般の人たちが無差別に犠牲となる
原爆の恐ろしさを訴えています。
これを読んで朋子さんは衝撃を受け
この時初めて原爆、戦争が
ものすごく悲惨だったことを知り
それが自分のなかの思いに火をつけ、
さまざまな活動を始めたのだと。
“記憶の意味”
原爆投下から71年目になり
被爆者の平均年齢が80歳を超える現在
どう記憶をつないでいくかが課題で
みんなでどうしていくか考え、実践し
同じ悲劇を繰り返さず
みんなが命を大切に生きていける
未来を創っていければと思っています
長い文章読んでくれてありがとうございます
『 なぜヒロシマに帰って来たのか? 後編 』
はいずれ書くので乞うご期待あれ~(^o^)
三十路少年の紅(こう)の
応援よろしくお願いしま~す(^o^)